万延江戸図シリーズ
江戸からTOKYOへ、iPhoneケースで辿る今昔
現代から遡ること160年、幕末は万延年間に描かれた「万延江戸図」をベースとして、国内外のオリジナル地図柄雑貨を展開する「TOTEMAP」が現代人にも読みやすくリライトした緻密なマップデータをiPhoneケースに仕上げました。
掘割と水路が縦横無尽に巡る当時の江戸は水の街。時代とともにその多くは姿を消しましたが、目を凝らしてみれば首都高速などにその面影を見ることができます。
江戸城を中心とした江戸全体図に加えて、日本橋、銀座、六本木、四ツ谷、深川の街々をラインアップ。それぞれの街に積み重ねられた歴史をお楽しみください。
東京 − 常に変化を続ける巨大都市
関ヶ原の合戦での東軍勝利により徳川家康が本拠地とした江戸はその重要性を増し、山の切り崩しや入り江や湾の埋め立て等によって大規模な拡張を行い世界有数の都市へと成長しました。
「万延江戸図」では江戸城を中心に御三家をはじめとした武家屋敷が取り囲み、明治維新により「東京」へと変化する少し前、幕末の最も成熟した江戸の姿を見ることができます。
東京1860シリーズ(万延江戸図)
東京シリーズ(現在図)
日本橋 − 今も変わらぬ五街道の起点
慶長8年(1603年)、江戸幕府開府と同時に架けられた「日本橋」。翌慶長9年(1604年)には五街道の起点として定められ、各地からの人々や物産で大いに賑わいます。通りの両側には堂々とした店が軒をつらね、日本橋は日本経済の中心地として発展していきました。
高度成長とともに橋の上には首都高速が影を落としますが、商店はやがて現在の百貨店に発展し、町割りにも当時の面影を見ることができます。
日本橋1860シリーズ(万延江戸図)
日本橋シリーズ(現在図)
銀座 − 銀の街から華やかな繁華街へ
徳川家康は江戸に幕府を開くと隅田川の河口で入江だった一帯を埋め立て、銀貨の鋳造を行う「銀座」を設立しました。後に鋳造所が移転した後も銀座は職人の街として栄え、細かく区割りされた街並みには畳町、弓町など職種ごとの町名を見ることができます。
転機は明治維新の後、二度の大火により焼失した銀座一帯は行政の主導により大規模な区画整理が行われ、文明開花の象徴として西洋式の街並みが構築されました。そこには山手に住む上流階級に向けた様々な商店が進出し、現在の華やかな銀座の街へとつながっていくのです。
銀座1860シリーズ(万延江戸図)
銀座シリーズ(現在図)
六本木 − 新美もミッドタウンも武家屋敷
江戸時代の六本木一帯は武家地。大小様々な武家屋敷が軒を連ねる街でした。中でも大きな屋敷地のいくつかはその後の歴史の中で軍の施設となり、敗戦後は米軍の接収を経て、平和な現代に初めて民間の施設として扉を開くのでした。
一方で六本木は武蔵野台地の端に位置する坂の街。鳥居坂や芋洗坂など、現在も残る地名を見ることができます。
六本木1860シリーズ(万延江戸図)
六本木シリーズ(現在図)
四ツ谷 − 街道とともに栄えた見附の街
江戸時代以前は一面のススキ野原だった四ツ谷の街。江戸城に外堀が回り甲州道中が整備されると、四谷見附として街道沿いに次第に人家が立ち並び賑わいをみせるようになリました。地図にある伝馬町、塩町の町名はその名残でもあります。
四ツ谷を挟むように構える尾張、紀伊の上屋敷はそれぞれ市谷駐屯地、そして赤坂御所として今も存在感を放っています。
四ツ谷1860シリーズ(万延江戸図)
四ツ谷シリーズ(現在図)
深川 − 水路が語る往時の賑わい
深川の歴史は慶長期(1596~1615)にその名の由来にもなった深川八郎右衛門による森下周辺の新田開発から始まりました。その後「木場」が整備され、さらに埋立ての進んだ深川は、縦横に走る河川を利用しての木材・倉庫業、米・油問屋の町として栄え、江戸市民の遊興地としても賑わい、江戸文化の華を咲かせたのでした。
新旧の地図を比べてみると、埋め立て前の海の広さに驚く一方で、いまだに多く残る江戸の水路が往時を思い起こさせます。
深川1860シリーズ(万延江戸図)
深川シリーズ(現在図)
TOTEMAPとは
TOTEMAP®はオフィス六・7のオリジナルデザイン地図柄ブランド。道一本から建物のイラストまで時間をかけて丁寧に描いた地図をプリントしたバッグやグッズ類はタモリ倶楽部でも紹介され、ミュージアムショップのグッズやご当地土産としても喜ばれています。